今思えば、その兆候は小学3年生の頃からありました。
もともと、朝が得意な方ではなかった次男くんでしたが、その年の3学期、朝、どんなに起こしても全然起きない次男くんがいました。
そして、少し休みがちになりましたが、当時の私は、朝の寒さと学校で行われるマラソンがイヤで起きないのだろうと思っていたのです。
だから、無理やりにでも学校へ連れて行こうと必死な私がいました。
実際、泣き叫ぶ次男くんを学校まで引きずりながら連れて行ったことも多々ありました。
毎年3学期になると、起きなくなるを繰り返すし、甘えている、怠けているとしか思えなかったのです。
しかも、そんなことでいちいち休ませていては、次男くんは休めるものだと思ってずっと休み始めるのではという気持ちや、それを認めてしまっては、長男くんと末娘ちゃんも休みたくなるだろうから、何が何でも行かせなきゃと必死だったのです。
もちろん1・2学期も、長男くんや末娘ちゃんよりも次男くんを起こすのは一苦労でしたが、やっぱり3学期が一番大変でした。
でも、翌年4月になると、また普通に何事もなかったかのように登校するので、不登校になりかけているということに、私は気付きもしなかったのです。
20年前くらいに私が大学に勤務していた頃、学生で起立性調節障害の子が居たので、”朝起きることができない”ような病気があるというのは知っていました。
でも、自分の子供である次男くんが、起立性調節障害であるという頭にはやっぱりならなかったのです。今考えればなぜそうだったか不思議で仕方ないのですが、親というものはそんなものかもしれません。
もしかして?と思えたのは、小学5年生の3学期でした。
その年の3学期は、本当にほとんど学校に行くことがなく、ようやく起立性調節障害かもしれないと思ったので、それなら、そう診断された方が、私も次男くんも平和になるかもしれないと淡い期待を込めて、病院に行くことにしたのです。
そこで「起立性調節障害は、検査をすればこのくらいの子だとだいたいがそうなるから」と言われ、結局検査もしてもらえず、ちゃんとした診断名がつくこともなかったのです。
朝起きれなくて困っていると言って病院に行き、結局、その困りごとに対するアプローチは何もなく、なんだかモンモンとして帰ってきたのを覚えています。
これはもう、私の中で、起立性調節障害なんだと思うことにしようとしました。
こんな状況でも、朝起きることができないだけで、不登校だなんてことにはまだ気づいていませんでした。
だって、また次の4月には普通に登校し始めるから・・・。
不登校だと思っていない私は、この頃不登校について調べることも何もなかったので、五月雨登校などという言葉も知らなかったのです。
小学6年生の3学期は、遅刻がちでしたが、5年生の時よりは登校できましたが、その後コロナウィルスの影響で完全休校となりました。
4月中学の入学式だけ行って、また翌日から休校。
確か6月ごろから分散登校などになり、ようやく通常通りになったのが6月下旬だったと思います。
その間、次男くんは結構頑張っていました。部活にも入り、夏休みも毎日のように練習に参加していたのです。
練習後には友達と一緒に出掛けたりもしていました。
しかし、2学期の始業式から学校に行くことはなくなりました。
この時、初めて次男くんは不登校になったのだと、ようやく私が認識することになったのでした。