不登校で困っているのは、いったい誰なのでしょうか?
親、その子自身、兄弟…。
みなさんは、誰だと思いますか?
不登校になった子がいることによって、それぞれの立場で、それぞれが考え、困っていることを少し挙げてみます。
親が困っていること
学校への連絡
子供が不登校になった時、毎朝の日課になる学校への欠席連絡。
不登校になる前は、特に何とも思っていなかった学校連絡ですが、実際不登校になってみると、これが結構しんどいものです。
まず、学校に本当のことを言えるまで、体調不良と伝えたりする場合、あまりにも毎日すぎて、いい加減先生にもまたかと思われるとか、余計なことまで考えてしまいますよね?
そして、それがあまりに毎日のことになるので、理由を言わずに「今日欠席します」だけでサッと済めば良いなと思いながら、強行突破を試みたりします。
その強行突破が、成功して安堵できる時もあるのですが、だいたいが学校側から欠席理由を聞かれてしまうことになります。
それがまた本当にしんどくて、学校に行かない子供が情けないやら、自分の躾が悪かったのかなどと思い始めてしまいます。
そして、もう嘘もつけなくなって、いよいよ本当の子供の状態を伝えるしか方法がなくなってしまって先生にカミングアウトする。
こんなパターンが多いのではないでしょうか。
ここまでくると、先生にカミングアウトしたことによって、学校への欠席連絡をする必要がなくなるという利点もでてくる反面、先生からの状況確認連絡がまたしんどくなってくる頃です。
先生も仕事だから仕方ないと思うのですが、子供を虐待などから守るために本人確認もあったりします。
先生と会える子も居れば、一切会えない子も居ます。
後者の場合、先生が目視で本人を確認するのは不可能です。しかし、学校か教育委員会かどこが主導なのかはわかりませんが、しなければならないことになっているらしいので、先生も親も心労でしかありません。
先生は職務遂行しているだけなので、親は申し訳なく思うし、本人はまったく無理だし、もう四面楚歌状態です。
この本人確認の必要性ももちろん理解はしています。しかし、実際に子供が不登校になっただけでもしんどいのに、虐待まで疑われて余計に心身を病んでしまうことにもつながる場合があります。
そして、不登校の子にもいろいろな子が居るので、無理な子は本当に無理なのだということもわかっていただきたい。不登校になってしまってからは、家のチャイムがなっただけで恐怖に感じる子も居るのです。
世間体
近所の目、保護者間の噂、何の気なしに聞かれる子供の状況・・・。
自分の子供が不登校になって、あなたは恥ずかしいですか?
それとも、ある意味自慢ですか?
私は、どちらかというと、後者でした。
もちろん最初からそうだったかというとそれも違う気がします。
元々は、みんなが当たり前にできている学校に行くということをできないことが情けないという思いと、そんな風に育ててしまった自分に対する腹立たしさなどがありました。
でも、”行かない”ことを選択した自分の子供をすごいなとも思っていました。
確かに、世間からみれば、自慢するに値しないことだとは認識していますが、それでも、”行かない”を選択したなら堂々としていたらいいと思っていました。
(実際は”行かない”を選択したわけではなく、”行けない”が近かったのかもしれませんが・・・)
そんな私なので、世間体は、あまり気にするタイプではなく、特段問題ではなかったのですが、こういうのを気にする人にとっては、ものすごく心的負担だと思います。
噂も広がり、時には「行かせなきゃ!」などと何もわからず言ってくるママ友などもいたりするでしょう。
本当に厄介です。
自分がしんどくなる付き合いなら、今すぐ切りましょう。
必要ありません。
何もわからず、ただ「行かせなきゃ!」などと言ってくる人は、今のあなたが必要な情報をきっと何一つ持っていません。
損得勘定ではないまでも、今、あなたに必要なものは、余計なストレスではなく、あなたが悩み苦しまなくて済むような人間関係です。
描いていた未来と違う(その子の将来が心配)
親は、自分の経験してきたことと照らし合わせながら、子育てをしているもです。
自分が子供の時、不登校なんて有り得なかった。
昔は登校拒否と言っていて、私が中学の時(かれこれ30数年前)、私の学年にも2人居たんですが、それは、今ほど当たり前でもなく、ごく一部の人に過ぎなかったんです。
学校に行くのが当たり前だし、高校に行って、いい大学に行って、いい会社に就職するのが人生の勝ち組という時代でした。
学校に行かない=人生終了と同じことを意味していた時代なので、その道に乗れないことが恐怖でしかないのです。
学校に行って、勉強さえしていれば、それなりの人生を歩める時代でしたから、なぜ学校に行くのか?そんなことを考えたこともないのが現在の親世代です。
だから、学校に行かないことで、子供の将来がどのようになっていくのかが未知数な為、親も怖いのです。また、時代は変ったといっても、日本はまだまだ学歴社会で成り立っているのも実感できたりする機会があるので、その道を外してしまうことは、絶望でしかないという発想になるのもわかります。
夫婦間でギクシャク
母親は子供の姿を目の当たりにする機会が多いので、比較的早い段階で不登校を受け入れることができるのですが、父親はなかなか受け入れられないことが多いようです。
そのことにより、夫婦間でもギクシャクしてしまうことがあります。
むしろ、夫婦間がうまくいっていないから、不登校になったと言っても過言ではないかもしれません。
ここでギクシャクする夫婦ということは、おそらくそうなのだと思います。
我が家の場合、主人と私の根本的な考え方が違うところがあります。
それは、もちろん子育てにおいても同じです。
主人は様々なことに口を出さずにいられないタイプで、いつも子供たちの”やりたい気持ち”を無くさせてしまう、いわばドリームキラータイプ。
私は、他人に迷惑をかけない範囲で、楽しければ何でも良しという放任タイプ。
ですので、主人が子供たちに言う練習しろなどという言葉に、当初は、私が盾となっていたのですが、そうすると私と主人がケンカになるというパターンが常でした。
例えば、サッカーしに行こうとなって、どこかへ家族で遊びに行ったとします。
せっかく広いところに遊びに行くのだから、サッカーボール以外にも何かしたくなるかもしれないと、バドミントンや縄跳びなども持って行こうとすると、「サッカーしに行くんだから、そんなの持って行くな」となります。
そこで、私が「別にサッカーもしたらいいけど、違うこともしたくなったらしたらいいんじゃない?」と口を挟んで、持って行けるようになります。
到着して、サッカーしてもいちいち練習しな的な発言・・・。
コレ、ちっとも楽しくないですよね?
私も楽しくないし、子供たちも練習とかいう言葉聞いただけで楽しくなくなると思うんです。
だから、またそれとなく私が楽しく子供たちと遊べるように、その場の空気を変えての繰り返しでした。
いつしか、私も子供たちも主人の機嫌が悪くなったら面倒だから、言わないにしようという流れが出来上がっていって現在に至ります。
やっぱり我が家もギクシャクなんです。
子供たちまで親の顔色を伺うようになってしまったのは、こういうところにあるのだと思います。
他の兄弟児への対応
一人っ子であれば、全く問題のないことなのですが、兄弟児が存在すると、普段の日でも一人が休んだら自分も休みたくなるものです。
それが、不登校となると毎日のことなので、そりゃあ、頑張って学校に行っている身としては、不登校の子への負の感情を持つようになります。
親は、不登校の子の対応ばかりになるし、頑張っている自分の意味が見出せなくなってしまうのも当たり前ですよね。
不登校になっている子を守るために、その子をズルいと思って攻撃してしまうのなら、自分も休んだらいいとしか、私は言えなかったです。
何が正解かなどは正直わかりませんが、現在の私なら、休めばいいよではなく、その子の頑張りをもっと理解して、もっと褒めてあげたと思います。
祖父母にバレた時の対応
祖父母も心配なあまり、いろいろと口を出してくることがあるでしょう。
学校行かせないでどうするんだ?
行かせなきゃ!
なんでそんな風になったのか?
などといっぱい言ってきます。
どうにかできるならしているし!ってやたらイラっとすることを平気で言ってきますよね?
私は、「そんなことは誰でも知ってるし、じゃあ実際にどうしたら学校に行けるようになるのか、具体的に教えてくれ」と言いました。
結局、具体案なんて持っているわけもなく、そこからは、あまり口出しをしなくなってきました。その代わり、子供たちが私の実家に行きたいと言えば、子供たちが癒される空間作りをしてくれるようになりました。
不登校の本人が困っていること
ダメな自分
学校に行けなくなってしまったことには、様々な要因があります。
元々の特性もあるでしょうし、小さな積み重ねもあるでしょう。
でも、本人が一番苦しいのは、他人と比較してダメな自分と思うことではないでしょうか?
自らが他人と比較するというよりも、親が周りの子はみんなできるのに何であなただけできないの!と言ったり、思ったりすることが、更に他人と違う自分を作り出していくのだと思います。
自分に置き換えてみてください。
学校という狭い箱の中で、自分だけが異質だと思っている、自分だけができない悔しさ、なんで?なんで?やっぱり自分はダメな子なの?誰にも愛されないの?この世に生まれてくるべきではなかったの?などという思考になっていきますよね?
そういうことなんだと思うんです。「なんでこんなこともできないん」」という親から発せられる言葉や態度は、結局人一倍学校に行けなくなってしまった本人が思い悩んでいることなのだと思います。
誰にも理解してもらえない現状
家族も周りも誰も自分を理解してくれない。
こんなにも苦しいのに、「学校に行け」と言われるのがどんなに辛いことか。
比較的早い段階で母親は子供の不登校を受け入れるようになりますが、それでも、元々引きずり倒してでも学校に行かせていた母親ですから、本当は、学校に行って欲しいと思っているんだろうなと子供は察しています。
だから、「行かなくていいよ」は子供になかなか届きません。
子供は毎日ただゲームしたり、YouTube観たり、ボーっとしていたりしながらも、いつでも自分の中で闘っているのです。
学校に行かなきゃいけないと一番思っているのは、子供自身なのです。
でも、いろいろ考えすぎてしまったり、身体が思うように動かなったり、自分でも何で行けないのかわからなかったりして日々苦悩しているのです。
親や周りの人から見たら、そんな風にダラダラしているのなら、学校に行かないのはいいとしても、家の手伝いとか何かしなさい!と思ってしまいますよね?
そういう感情がまた子供自身を苦しめる要因になっていることに、親は気付かないから、子供はますます孤独になっていってしまいます。
心の中では「誰か助けて」と叫んでいることが、誰にも理解されないのです。
今まで一番信頼していた母親にさえ理解してもらえない辛さといったら孤独の極みではないでしょうか。
自分の将来への不安
学校に行って、大学に行って、就職して・・・と思っている親に育てられているので、本人にもその思考が植え付けられています。
しかし、自分はその道から外れてしまったので、先の見えない崖っぷちに立たされているような感覚になるでしょう。
これから先、自分はどうしたらいいのだろうか。
働くこともできないかもしれない。
もう引きこもりの道しかないのではないだろうか。
学校に行けばどうにかなるかもしれないけど、やっぱり行けない。
好きなこともないし、やりたいこともない。
もう生きていても仕方ない。
こんなことをひとりで考えて苦しんでいます。
本当はこんなはずじゃなかったと親も思っているかもしれませんが、それは、きっと子供自身が一番思っていることなのです。
兄弟児が困っていること
学校での立場
不登校になっている兄弟がいることが、学校でバレたらどうしようとか、既にバレてしまって、そのことで何か言われたりすることもあると思います。
親が不登校児だけしか見なくなる
自分も毎日行きたくない学校に頑張って行っているのに、不登校になった兄弟だけを心配して、全然自分の気持なんか考えてくれなくなったことで、兄弟児もまた苦悩し始めます。
普段必死に頑張っていた子になればなるほど、不登校になってしまった兄弟の頑張りが足りないのだと、思うようになります。
そこは親が説明しても、兄弟間の年が近ければ近いほど、難しい問題になってきます。
自分も不登校になる
今まで学校を休んではダメだと言われてきたが、親の方向性が180度変わったことで、自分も辛いんだとアピールできるようになるため、不登校になったりもします。
ただ、このことによって、本来不登校になる必要がなかったかもしれない自分の人生が一転してしまいます。あの時、兄弟が不登校にならなかったら、自分の人生は、もっと普通にいけていたのにと後悔することがあります。この後悔は、最初に不登校になってしまった本人よりも強いように感じます。それは、自らが不登校になる選択をしたにも関わらず、周りのせいにできる部分が多くなるからかもしれません。
結局、一番困っているのは誰?
今まで見てきたように、不登校の子に関わる全ての人が困ってしまうのが現状です。
しかし、よく考えてみれば、親の困り事は、不登校になった本人との困り事ではなく、それをとりまく周りの人との関係性によるものがほとんどであり、実はそんなに困る必要もないことなのかもしれません。
しかし、子供の困り事(不登校児本人とその兄弟児)は、実際に自分自身を否定してしまうことなので、心も身体もヘトヘトになってしまいます。
生きる意味を見いだせなくなってしまったその先にあるものは、暗闇だけになってしまいます。
本当は生きる意味など考える必要もなく、なんとなく楽しい未来が見えるから頑張れるのだと思うのです。
しかし、不登校真っ只中の子供たちにとって、楽しい未来など存在しないのです。
そのことが一番の困り事であり、不登校だから困るということではないのだと思うのです。
子供の困り事にしっかり耳を傾けて、抱き締めてあげて欲しいと思います。
親が困っていることよりも、はるかに子供自身が苦しんでいることを忘れないであげてください。
みんなが心の底から笑顔になれますように☆彡