【不登校】思考転換できれば実はそんなにたいしたことではないのかも

不登校

次男くんが不登校になったことで、今までの常識と決別した私。

THE BLUE HEARTSの名曲「情熱の薔薇」の歌詞のように

見てきた物や聞いたこと いままで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう

まるでそんな気持ちでした。

今までのすべてがひっくり返った瞬間とでもいういのでしょうか。

それまで考えてもみなかった”学校”という存在の意味。

学校は行くのが当たり前で、行かない選択肢はないというのが、私の中の当たり前だったのです。それが学校に行かないのも有りな思考へと変換するのは、並大抵のことではありませんでした。

でも、私は当時の次男くんに「学校に行け」とは言えませんでした。

次男くんの状況が、もういっぱいいっぱいなことに、なんとなく気付いていたからです。

それが正しい選択だったのかどうかは、正直わかりません。

長男くんに「次男くんをいつまでこうしているんだ。これじゃあ次男くんがかわいそうだ」と言われたことがありました。

でも、当時の次男くんにこれ以上頑張れとは言えませんでした。

そのことが、長男くんも不登校にしてしまったことの原因の1つであると思いますが、その時は次男くんの心を守るのが精一杯でした。

今までの、「やらなければならないことは、何があってもやらなければならない」という私の考えを、「やらなければならないことでも、できないこともある」と無理矢理自分に言いきかせる毎日に変わりました。

寄り添うと言っても、正直どう寄り添えば良いのかもわかりませんでした。

辛い気持ちはわかるんです。でも、実際に自分だったら、結構大丈夫なことの積み重ねだったりして、本当の辛さをきっと私はわからないままなんだと思うんです。

結局は、自分の生きてきた厳しさを捨て、辛い気持ちに少しでも寄り添えるように頑張っている状態になるから、私も疲れてしまいます。

だから、そこはもう持ち前のポジティブさで、乗り越えるしかありませんでした。

せっかくこんなに休みなんだから、今しかできないことを目一杯楽しもう!

そうなってから、水族館に行ったり、海に行ったり、ゆっくり映画をみたり、とにかく学校がある時には、なかなか時間がとれなくてできないようなことをしようと思いました。

一番良かったのは、私の実家のある千葉県へ行ったことです。

土に触れたり、タケノコを採ったり、スプレーで絵を描いたり…。

あと、房総半島にも旅行に行きました。

もちろん平日なので、ホテルについていたスパもほとんど貸し切り状態で、思う存分楽しむことができました。

ガラス工芸のとろこにも行きました。

そこのガラス工芸のところは、結構本格的に自分で作らせてくれて、かなり良い体験になったと思います。

私は、この時の子供たちの目の輝きを忘れません。

もっと前からこうできていれば、もしかしたら不登校にはならなかったかもしれません。でも、もう過去には戻れないので、しっかり前を見て行こうと決めました。

私は、不登校なことも全部含めてこの子たちの人生の糧になると思うのです。

そりゃあ、普通に学校に行って、普通に就職してという人生も素晴らしいことだと思います。そして、そうなるのが当たり前だと思っていました。

でも、不登校なこともきっと何かの意味があって、そこから学べる何かに出会うことが、この子たちと私に与えられたチャンスなのだと考えるようになりました。

人生、どこで何があるかなんて誰にもわかりません。

辛いことも悲しいことも、後悔することもたくさんあるでしょう。

でも、だからこそ気付く幸せもきっとあると思います。当たり前だと思っていた中に、たくさんの幸せや、たくさんの人の手が加わっていることを感じとってほしいと最近は思います。

生きるのが辛くなることもあるでしょう。

でも、そんな時こそ小さな幸せがたくさん転がっていて、自分がいかに大切にされていたか思い出して欲しいのです。

今日も笑いあえた。それが何よりの幸せです。ありがとう。