長男くんが不登校になったのは、中学2年生だった2020年10月のこと。
次男くんが不登校になっておよそ1か月半後の出来事でした。
不登校になる直前、長男くんは、学校に持って行くのが禁止されているスマホを持っていったのです。
私の中では、ちょっとやってみたかったのだろうという認識でした。
でもそれは、既に不登校になっていた次男くんのことばかり気にかけていた私の気を引くための出来事だったのかもしれません。
次男くんが不登校になった時、「自分の人生だから、次男くんのことがもしもズルいと思って責めてしまうのなら、長男くんも休んだらいい」と伝えていたのです。
これは、次男くんへの攻撃を避けるための発言だったのですが、今思えば、休めばいいじゃなくて、毎日の頑張りをいっぱい褒めてあげたらよかったなと後悔しています。
そのスマホ事件をきっかけに、何かがプツンと切れたのでしょう。
長男くんも不登校になったのです。
それでも、まだ私は長男くんはただやってみたいだけだと思っていました。
担任の先生がしょっちゅう家に訪れてきてくれて、本人は誰とも会いたくないと言っていても、先生が来てくれているから自分でしばらく放っておいてほしいならそうやって伝えたらいいよと、次男くんの不登校とは、まったく別の対応をしていました。
長男くんの場合、友達も結構多くて、クラスの中心的な存在だったこともあり、先生が訪れてきてくれても、イヤだとはいうものの結局ちゃんと会って話したりするので、気が済めば登校するようになると思いますと先生にも伝えるほど、ほとんど心配していなかったのです。
でも、そのことがかえって長男くんを苦しめたのかもしれません。
俺だってしんどい。
俺だって傷ついている。
俺だって立ち直れない。
俺だって困っている。
俺だって死にたい。
そんな感情を必要以上に見つけさせてしまったのは、私のせいだと思います。
次男くんの不登校の根深さが、私にとっては最大の難関であり、暗中模索する中、いつの間にかすべてが次男くんになっていたのです。
この2人の不登校を、例えるならば、重病と仮病くらいに勝手に判断して、仮病の訴えに一切耳を貸さなかったがゆえの不登校だったと思うのです。
子供3人、私の中ではどの子も同じように大事だし愛おしいです。
でも、熱がある子が居れば、その子に付きっきりになってしまう。私の中では、それと同じだったのだけれど、数日で治るのわけでもなく、みんなも頑張っている中で、学校に行かなくなった次男くんを擁護しているのは、年の近い兄弟には理解するのも難しいに決まっています。
もっと早く気付いていれば、長男くんがわざわざ不登校を経験することもなかったんだろうなと、今はわかります。
ママが3人居ればいいのにと結構本気で思った頃でした。
長男くんは、その後3か月の不登校を経て、中学2年生の3学期から学校復帰したのですが、その後もまだまだいろんなことがありました。
その辺はまた別の機会に・・・